―――――カッポカッポカッポカッポ
馬の蹄の音が舗装された街道に響く音を国崎往人は黙って聞いていた。
だが馬の足音を聞いてるからと言って、彼が馬に乗っているというわけではなく、また馬車に乗っているわけでもない。彼はあくまで歩いているだけだ。
この音は前方を一定の速度で進んでいる荷車を引く、一頭の馬から発せられている音である。そしてその荷馬車を護るようにして、二十人ほどの軍服を着た存在がその回りを物々しい威圧間を醸し出しながら歩いている。
普通の人ならば何事かと思わず目を向けてしまうような光景。だが国崎往人はそんなものなどまるで気付いておらぬかのように、呑気に欠伸をかみ殺しながら思った。
――――――暇なもんだな
四季輝煌戦記
第三十四話 空ヨリ来タルモノ(前編)
暇といっても実際、彼とて目的も無くこんな場所に居るわけではない。
そもそも自分がここに居るのは目の前を歩いている軍人達と同様、運ばれている荷の護衛という目的であったりする。
しかし実際には今のこの男の状態は群れから追い出された小鹿の如く、目の前の一団の後を少し離れてついていっているという状態だ。
しかし、そんなふうにはぐれた小鹿は彼一人ではなかったりする。
「あ、往人さん、今暇だなー、とか思いましたね」
テレパジー能力でも持っているのか、絶妙のタイミングでそんなことを言い放ったのは彼の隣を歩く白衣の少女、美坂栞。
彼女はまるで犯人を追い詰めた名探偵の如く、自信満々に往人に指を突きつけてくる。実際その自信に違わず、その台詞は正しいのだがここでそれを認めるのは癪なので嘘をつく。
「そんなことはない」
「嘘ですね、今の絶対欠伸する寸前な顔でしたよ。ねぇあゆさん」
「えっ…う、うん、そう……かな?」
いきなり話を振られ、曖昧な形で肯定する少女、月宮あゆ。
二対一でどうだと言わんばかりに栞が往人を見るが、彼はその視線を特に気にもせずに歩き続けている。そんな往人の態度に栞はぷぅ、と頬を膨らませるが、それをあゆが横から宥めに入る。
そんな賑やかな少女達の声を背後に聞きながら往人は思わず心の中で呟く。
――まるで遠足の引率だな
だが実際はそうではない。
少し、いやかなり子供っぽいところはあるが、二人とも妖魔や魔物への対処といった、普通の人間の力では手の及ばない様々な荒事を一手に引き受けている組織、霊魔院の一員だ。そしてその中でも特に実力ある者にしか許されない院士の称号も持っている。その辺の下手なハンターが相手なら子ども扱いだってできるだろう。
そんな彼女らを子ども扱いするのは明らかに不適当である、というのが理由の一つ。そしてもう一つ、往人たち三人がこうして軍の後ろにくっついているのは決して遠足などではないということだ。
そもそも事の始まりは三日前、軍がある一つの盗賊団を壊滅させたことにある。
今は亡きこの盗賊団、実は二百年以上前から存在していた、かなりの古株である。幾つもの国が乱立していた戦国時代ならいざしらず、大した混乱も無い安定した国の元でたかだか一盗賊団がこれほどまで長い時を生きながらえたのには理由がある。それは彼らの活動が一つにとどまらず、常に変化進化をし続ける、ある意味革新的ともいえる盗賊団であったからだった。
なにせこちらの山で鉈を振り回して山賊をしていたかと思えば、向こうの海で帆船を駆り海賊を行う。国が本格的に対策を取ろうというころには全く違う場所で活動しているという、まことに厄介な連中だったのだ。
しかも今度は空賊にまで手を出す気だったらしく、彼らのアジトからは小型の飛空挺がいくつも
見つかっていた。この事実を知った人々は例外なく、被害が出る前に抑えることができたことに安堵したことは言うまでもない。
ただそんな盗賊団も、三日前の王国軍の作戦により壊滅という運命をたどることになった。そして彼らが盗んできた品物は多くが人手に渡ってはいたが、それでもかなりの量が押収されることとなった。
何せ二百年もの間、盗賊業を続けてきたのだ。貯め込まれていた盗品もまた大量かつ多様だった。
絵画や彫刻などの美術品、過去の偉人が使ったとされる歴史的な品々、強力な魔道処理が施された道具、他にもオーソドックスに宝石を踏んだんにあしらったアクセサリーなど、さらには明らかに外国の物と思われる物まであった。
これらは一旦王都に集められた後、元の持ち主に返還、もしくは美術館などに寄贈という形になるということになっている。
そして往人たちの目の前を進む馬車に積まれた荷こそが、その盗品の一部である。他はどうしたかと言うと、そのあまりの量から一度に運ぶには目立ちすぎるため、別ルートで分散して運ばれることになっている。
そして往人、栞、あゆの三人はその荷の護衛のため、ここに来た………というのが表向きの理由だ。
自分達の本当の目的は別のところにある。
「全く、今回のは俺の目的に近づけるかもしれない仕事なんだ。欠伸なんて気の抜けたことするわけないだろう」
「“俺達”、ですよ。ね、あゆさん」
「う、うん。そうだね」
さっきは本気で暇とか思ってた癖に、まるでそんなことを匂わせないくらい平然と言ってのける往人に対し、栞は笑顔で全然別のところを訂正してくれる。わざとなのか天然なのか、正直まるでわからない。
そんなふうに打ち解けた感じの栞とは対照的に、あゆは往人に対してどことなく距離をとった態度を取り続けている。だがそれも無理も無い話だ。なにせ彼女とは昨日会ったばかりだ。僅か一日で打ち解けられるほど社交的な性格で無いことは自分でも分かっている。
なんとなく、自分の人形劇を見せてやれば少しは懐かれるかとも思ったが……止めた。この状況で見せても金が取れるとも思えない。リクエストされたわけでも無い以上、わざわざ見せる必要も無いだろう。
それに旅をする身である以上、他人との接触は必要以上にすべきではない。変に情が移れば離れるのが辛くなるだけだ。だから自分のこの性格を分かっていても治そうとはしないし、治したいとも思わない。実際、これまでの旅でもこの性格のおかげで人と親しくなったことはほとんど無かった。
………ただ去年の夏に立ち寄ったあの田舎の町では違った。
自分のそっけない態度に対しても、それが当たり前のように接し続けた少女―――
まだ一年も経っていないのに、あの夏の町での出来事を思い出し、懐かしい気持ちが心の奥に生まれるが往人はそれをすぐに振り払う。
曖昧だった自分の目的、『空に居る少女』を探すこと。その手がかりが直接的なものでないにせよ、ようやく見え始めたのだ。今、過去を懐かしんで時間を無駄にするわけには行かない。
往人は自分にそう言い聞かせると、あえて自分の思考を別のところへ持っていくために栞に確認の言葉を投げかける。
「俺達は一応、今運ばれている荷の護衛ということになっているが……本当に注意するべきなのはあの中の一つ、だったな」
その言葉に栞はゆっくりと頷くと、
「はい、まだこの大陸が統一される前、幾つもの国が乱立していた戦国の時代、持ち主に戦での功を授けてくれるといわれたいわく付きの剣。それが私たちが最も注意すべき品です」
「確かその剣ってあんまり高い物じゃないんだよね」
「ええ、勿論普通の視点で見ればそれなりのものではありますが、他の品に比べれば物としての価値は明らかに見劣りしますね」
あゆの言葉に答えた栞はそのあとに、しかし、と付け加える。
「さっきも言いましたようにその剣に付いたいわくが付加価値となっているんです」
今、話題になっている剣は最初はある高名な騎士の持ち物であった。その騎士は件の剣を用いて数々の武勲を打ち立てた。それだけならばその人物が優秀だったということでまとまるのだが、話はそこで終わらなかった。
かの騎士が死んだ後、使われていた剣はその息子に受け継がれることになったのだが、その息子は父ほど優秀ではなかった。武芸が優れているわけでもなく、知略に秀でているわけでもなく、人望が厚いわけでもない、平凡より少し上と言っていい程度の能力しか持たなかった。しかしながら彼はどれほど過酷な戦場に出たとしても勝利を手に戻ってきた。
だがそんな彼も病にかかり、若くしてこの世を去ることになった。そして剣は彼の親友が譲り受けた。すると今度はそ親友が次々と武勲を立て始めたのだ。
この不思議な事実に人々は、「あの剣には勝利の魔法がかけられている」などという噂をまことしやかに口にするようになった。
それからほどなくして話題の剣は持ち主を変えることとなる。無論、持ち主が譲ったわけではない。噂を信じた人間が盗んだのだ。そしてその盗んだ人間はその剣を使い、幾つもの手柄を手に入れた。しかしそれも長くは続かなかった。また別の人間に盗まれたのだ。しかも今度は持ち主を殺して……。
それ以来、剣は転々と持ち主を変えていった。あるときは手柄を欲する者に、またあるときは単純に金に変えたがる者に、またあるときは蒐集欲を満たしたがる者に、多くの人間の手を渡った。その過程で多くの剣の持ち主が殺された。
そんな理由により人手に渡り続け、長らく行方知れずとなっていたその剣が今、彼らの目の前を進む馬車に積まれているのだった。
とはいえ聞く人が聞けば人に非常に興味をそそられる歴史も往人にとってはどうでもいいことだったりする。
彼が気にするのはただ一つ―――
「……で、それが【終無き空】に狙われているという話だったな?」
「正確に言えばそこに属している『ツインスター』と呼ばれる怪盗が、です。それもあくまでも可能性がある、ってレベルですけど……」
「別にそれでかまわんさ。今までもろくな情報が無かったんだ。これ以上選り好みしていられない」
往人は春祭り以降、栞の姉である香里に請われて自身が得意とする法術の研究に協力するため、王都に滞在していた。
その報酬として往人は『空に居る少女』について知るため、貴重な文献の閲覧許可、【終無き空】に関する情報を受け取っている。あと、それとは別に王都での生活費も支給してもらっている
しかし、どの文献にも件の少女に関することはまるで載っておらず、また【終無き空】の情報も幾つか入ってくるものの、全てが空振りとなっていた。
だから往人には今回も外れだろうという気持ちがあった。それでも来たのは他に当ても無く、万が一ということもありえると思ったからだ。
やる気がないように見えて、あるかもしれない心具合である。
そこまで考えたとき往人はふと、なぜこれが狙われてるというかが分かったかと言うことに関する説明を受けてなかったことに今ここに至ってようやく気がついた。
「そういえば話してませんでしたっけ」
聞かれた栞は、今回の話を持ってきた張本人であるにも関わらず呆けた顔をした。しかしそんな彼女を責めるべきでは無いだろう。
何せ昨日はこの話を聞いたあと、往人を呼び、『ツインスター』との戦闘経験のあるあゆに一緒に来てもらうようお願いして、荷の出発に
間に合わすためにかなりの強行軍で移動したのだ。そんな時間的余裕の無い中では細かい説明などしてられなかった
のだ。
「えーと……今回の話は住井さん、私たちと同じ霊魔院の人から聞いたんです。確かあゆさんも会ったことあるそうですね」
「うん、なんだか面白い人だったよ」
《十握剣》の男連中は全員面白いのだがここでそれを言っても意味が無いので黙っておく。
そもそも、今回の標的である怪盗『ツインスター』が世間的にもよく知られた有名人であるのはこの場にいる誰もが知る事実である。もちろんそこに至るまでには予告状を出したり、盗みに入った後に直筆のサインを残して行ったり、逃走の際にわざわざ名乗ったりと、盗んだ所には必ず自分の名を残していくといった売名行為のたまものである。
そんな彼らの行為はただの酔狂と思われていた。
だがつい最近、この考えを覆す事実が発覚した。そう、『ツインスター』が【終無き空】と関わりがあるという事実だ。それが純粋な上下関係なのか、それとも仕事的な関係なのかは不明だが彼らに指令、若しくは依頼という形で盗むものを指定する存在がいる。
だがそのような場合、彼ら『ツインスター』がその名前を残す、ということはまず無くなるはずである。
そんなことをすれば少なからず、仕事の成功率が落ちるからだ。事実、予告状を出したり、名前を残したりしたせいで彼らは幾度か仕事に失敗している。
こういったことから、仕事の際には必ず自分達の存在を知らせるはずの『ツインスター』が、もしそれをしなかった場合、それは他からの依頼によるものと考えてもいいのではないだろうか。
それに気付いた住井は盗難を中心とした過去の事件を徹底的に洗った。結果、手口は巧妙に変えられているが『ツインスター』の仕業と
思われるものが数件出てきた。そして、そのいずれも場合にも、盗まれたものには一つの共通点があった。
それは―――
「いわくつきの代物である、ということです。その持ち主はことごとく非業の死を遂げたり、または逆に何度災厄に襲われたとしても
生き延び、天寿を全うしたなど、そういう何らかの伝承、伝説みたいなのがあるものばかりなんだそうです」
そして今回、彼らが話題にしていた剣にも先に述べたようないわくがある。
なるほど、栞が言う通り、いや聞いた通りならば確かにその剣を狙ってくる可能性は高いだろう。
だがこの考えいわば、仮説の上に仮説を乗っけて出来た推測だ。肝心なのはどれだけその推測が信用できるかということだ。
そのことを聞いてみると、
「んー、そうですね……身内での信頼や欲目とかを抜きにしてもこの考えは信用できると思います」
栞はかわいらしく指先を唇に当てて考えるしぐさを見せた後、そう答えた。
「たとえば私って趣味で絵を描くんですけど実際、使う道具や技法なんかを変えても底の底、本当に根本的なところにはやっぱり癖…
みたいなものは出るんですよ。全然違う絵でも、見比べるとこれは同じ人が書いたんだな、ってわかるんです。
もちろん、そんなはっきりと分かる物でもありませんけど……でもなんとなく分かるんですよね。だからそういうのがあると知ってる分、
私自身はこの推測はありえるものだと考えています」
「……なるほどな」
往人は彼女の姉に招かれて王都に来たわけだが、そういう関係もあって栞とはそれなりに話す機会が多い。そんな日常会話の中で栞の趣味が絵ということは聞いていた。
だからその台詞はわりと信憑性を帯びた風に聞こえた。ちなみに往人の背後にあゆが顔を青くしつつ、小さくうぐぅと鳴いたことが少し気になったが今は無視する。
国崎往人、彼はいまだ栞の絵の腕前を知らなかった。
そして、そんなあゆの態度に気づかぬまま栞は何かを思い出したように両手をぱん、と合わせる。
「そういえばあゆさん、往人さんの人形劇、まだ見てなかったですよね」
「え? うん。見てない、けど……」
「じゃあ後で見せてもらうといいですよ。往人さんの人形劇、面白くはないけど一見の価値はありますよ」
「失礼なことを言うな」
人の稼ぎのメインとなっているものになんということを言うのか。だがそんな失礼な台詞でも興味を持てたのか、あゆがおずおずといった感じで
話しかけてくる。
「そうなんだ。ちょっと見てみたいな」
「断る」
「うぐぅ……」
往人の一秒否定にあゆはちょっと悲しそうな顔をする。少し悪いとは思ったが、以前にも請われて客でもない相手に人形劇をみせたら
おもくそばっさり切り捨てられた思い出があるので、こういう形ではあんまりやりたくはないのだ。
とは言えそんな苦いはずの記憶も、思い出してみれば妙に懐かしく感じる。無論、同じ目に会うのはまっぴらごめんだが……似たようなことはあってもいいかもしれないと思ってしまう。
(何を考えてるんだか………こんなのは俺のキャラじゃないよな)
これではまるで自分が人との関わりに飢えているみたいではないか。
ただ金を稼ぎ、空に居る少女を捜し求めるだけの日々。古ぼけた人形と遥か昔から受け継がれてきた目的のみを道連れとしてきた自分には
数少ない例外を除き、旅先で出来た知人などほとんどいない。最近の例外はあの夏の日に寄った町くらいなものだ。
そう、自分は孤高な旅人だったはずだ。
いうなれば『はぐれ人形使い純情派』だ。純情派というだけあってきっと女性に対しては引っ込み思案。指先が女性と触れたりするだけで頬を赤らめてドギマギしてしまうような純情青年国崎往人―――
(……………気持ちわりぃ)
自分で想像しておいてなんだが気持ち悪くなった。これでも鏡くらいは見たことはある。似合わないにも程があるってもんである。
というわけでもっと別の物を想像しよう。自分のキャラを踏まえ、なるべくカッコイイものを……そうだ、例えば夕日をバックにする流浪の男なんかもいいかもしれない。移動手段は徒歩よりも馬なんかの方が絵になるだろう。丁度、馬車を引いている馬もいる。
鞭を打ち、馬に乗って「ハイヤーッ!!」と叫んで荒野を駆けるのだ。
カウボーイ・往人。カッコイイかもな…
そんな妄想に耽っていると突如、幾分緊張した感じの声が耳に飛び込んできた。
「それで往人さん、どうしますか?」
「もちろんガンマンだ」
「「……………」」
困惑した視線が二人分突き刺さる。
「往人さん、今の状況わかってます?」
「……ん?」
ものすっごい呆れた表情の栞に言われ、辺りを伺ってみると、周りの雰囲気がずいぶんとピリピリしている。まるで今にも戦闘を始めようかというような感じだ。
また、前を歩いていた軍人たちの視線は向かって右側にある小高い丘に集中している。つられて往人もそちらを見ると、そこには覆面をし、
武器を持ったかなり怪しい集団がこちらを見ている。
「わかりましたか?」
「……………わかった」
どう間違えても通りすがりとかそういった穏やかな部類ではないことは確かだ。
それにしてもこんな状況ににまるで気付かなかったとは、くだらない妄想にはまり込みすぎてしまったようだ。
そんな往人に、栞は説明を再度行う。
「それで、あの人たちを見る限り、『ツインスター』らしき人はいません。全くの別口かもしれませんがどうしますか、って聞いたんです」
「なるほど、確かにどいつも敵その1その2で分けても問題なさそう連中だな」
「ABCDでも良さそうですね」
「余裕だよこの人たち……」
まるっきり相手を馬鹿にしきった態度の二人に、あゆは小さくため息をつく。彼女だって直接的な戦闘行為を主体と対魔隊する、しかも中位院士だ。あそこに居る人たちがさほど脅威でないことはよくわかる。だからと言ってどうしてこんな軽い態度でいれるかはよくわから
ない。
そう思っていると後ろの方で声が上がる。振り向けば今見たのと同じ覆面集団が反対側にも出現していた。それだけではない。
四方八方から、まるで取り囲むように次々と覆面をした人間が現れる。
いや、言いなおそう。ように、ではなく…まぎれもなく言葉通り、往人たちは覆面の集団によって包囲されていた。
それを確認したところで今度は往人が問う。
「どうするんだ?」
「……そうですね」
栞は馬車、そしてそれを守る部隊の人々の方へとその視線をそっと向ける。
こちらの数は自分たちと御者を含めて二十四。対してむこうは目視した限りでは六十五。大した使い手はいなさそうなので、その気に
なれば自分たち三人だけでもまともに戦えるだろう。
だがそれが荷を守りながら、しかも全方位に敵がいるとなるとかなり苦しい。
どうすべきか、それを考えるより先に覆面集団が一斉にこちらに向かって動き出した。
同時に、隊長の男が声を張り上げる。
「一斑は前、二班は右、三班は左を守れ! 四班は状況に応じて各班の応援に行け」
迷わぬ言葉に突然の正体不明の一団の出現に戸惑っていた兵士たちも我に返り、機敏に動きだす。
それを確認せず、隊長はすぐさまこちらへと顔を向けると、今度は先ほど号令を上げたのと同じ声で栞に呼びかける。
「後ろは君たちに任せるぞ」
「わかりましたっ」
即座に栞は頷いた。迷ってる暇はない。敵はもう数秒もしない内にこちらに襲い掛ってくるだろう。
それに自信もあった。全方位からならともかく、方向が絞られればあの程度の数、栞からみれば無いも同然だ。しかも今いるのは
彼女一人ではない。
「私が後衛をつとめますので往人さんは前衛をお願いします。あゆさんは往人さんの討ち漏らした敵を!」
栞は自分の得意とする術式を構築しながら、隣に立つ二人に指示を飛ばす。
普通に考えれば当たり前の配置だが、それでも声に出して確認することは大切だ。
そして二人を連れてきた栞は、この仕事でのリーダーということになる。だからこそこの役目は栞のものだ。ただ、二人とも年上なので
こんな風に上から言うような言い方をするのは少し気遅れもした。
だから、二人がすぐに返事を返ってきたことに少しだけほっとした。
「まかせろ」
「わかったよ!」
往人は前に飛び出し、あゆは栞を守るようにして前に立つ。そして栞もまた、得意のナイフ投げを披露しようとしたそのとき、背後から
いくつもの悲鳴があがった。続いて背中に冷たい殺気を感じる。
「くっ!!!」
起動しかけていた術式を中断し、前方へと跳ぶ――が、それでも間に合わず、自分の左の脇腹に何か細長い何か、おそらく刃が当たったのを
感じる。
しかし栞はそれに動じることなく右手に三本、ナイフを生み出すとぐるりと体を半回転させ背後の襲撃者目がけて投擲する。
「――ッ!!」
だが襲撃者はそれを身をよじって回避した。そのまま追撃がくるかと思ったが目の前の影は栞を無視し、さらに進んだ。その先にはあゆがいる。
「あゆさんっ!」
「えっ!?」
あゆが背後からの攻撃を回避できたのは僥倖といってよかった。彼女は憑依魔術によって生まれた翼をはためかせ、上空へと何とか逃げていた。
「チッ」
襲撃者は空に逃げたあゆを見て舌打ちした。そこでようやく栞はその姿を視認することができた。
覆面をしているので顔はよくはわからなかったが、見た目は自分と同い年くらいと思われる少女だった。服装は控えめな赤色の着物。
そして一番印象的なのは往人と同じような煌く銀髪だった。もちろん、往人のような堅くボサボサした髪ではなく、女の子らしい柔らかさに富んだ髪であったが。
だが観察できたのはそこまでだった。
少女は栞やあゆへの奇襲が失敗したと見るやすぐさま踵を返して馬車のほうへと向かう。
栞は咄嗟にワンアクションで五十以上のナイフを生み出し、投擲する。
だがその少女はさらに加速することで雨のように迫る刃の効果範囲から逃れる。そして再び護衛の兵士を切りつけた。
まずい、と思う。あの少女、ここにいる兵士たちで太刀打ちできるレベルではない。そしてその兵士たちの数段上の実力を持っている。多分あゆでもかなわないだろう。
ならばあの少女の相手ができるのは自分か往人か……すぐに往人の方が適任だと判じ、彼がいるはずの方を見て絶句した。
往人は背後の異常に気を取られた隙を突かれ、前方の覆面集団の接近を許し、押し潰されるような形で袋叩きにあっていた。あゆが助けに行こうとするが地上から散発的に撃たれる魔術で近づけないでいる。
さらには先ほどの銀髪の少女が次々と兵士を斬っていってるため、護衛の方も隊列が崩れ、数で勝っている覆面集団に押し切られそうに
なっている。
たった一人にものの見事にやられてしまった。突出した戦力の使い方をよくわかっている相手だ。
(負けてしまうかも……)
そんな考えが驚くほど簡単に栞の脳裏に浮かぶ。
ここまで来たら挽回は不可能ではないか、そう判断するのが道理である。
だがそう思ったその時、
「どおおおぉぉぉりゃああぁぁぁ!!」
まるで巨人にでも放り投げられたかのように、往人を袋叩きにしていた連中、そしてその周りにいた覆面たちが
まとめて吹き飛ばされる。
「うぐぅーっ!!」
さらには往人を助けようと何とか近づいていた少女も吹き飛ばされていた。
そして数瞬後、まるで落とされた鳥のように空からぼたぼたと覆面たちが落ちてくる。
その光景に兵士も、覆面集団も思わず手を止めてしまっていた。
地面に叩きつけられ、あらぬ方向に曲がった腕や足を押さえて苦痛の声を上げる覆面たち。そんな中で唯一二本の足で立っているのは目つきの悪い銀髪の青年。つい先ほどまで袋叩きにあっていたはずのその体には驚くべきことに傷一つ無かった。
そんな敵味方問わずに注目を集める往人は、何も言わずにその足を踏み出し、
――ひゅー ごちん☆
空から落ちてきた少女と脳天をぶつけ合った。
「ごぉぉぉぉ……」
「うぐぅぅぅ……」
周囲の視線を浴びながら、頭をぶつけ合った二人の男女は揃って苦悶の声を上げて地面に蹲る。
そんなかなり滑稽な二人に栞はおそるおそる声を掛けてみる。
「えーと、あゆさん、往人さん。大丈夫ですか?」
「うぐぅ、痛い」
「こ、この石頭め。首が折れるかと思ったぞ」
二人がそれぞれ頭や首を押さえて立ち上がる。
それにしても武器を持った大の男達に袋叩きにされても無傷だったくせに今のはダメージになったらしい。往人は本気で痛そうに首をさすっている。
だがそんな情け無いとも言える姿を見せても、先ほど十人以上の人間を纏めて吹き飛ばしたのがこの男であることは誰が見ても明らかだった。しかも体術ではありえない吹き飛び方だったにもかかわらず、魔力が全く感じられなかったのだ。その事実がさらにその力に対する恐怖を煽る。
その感情に敵味方は関係ない。同じものを感じた。けれどそこから派生するものは敵と味方で真逆になる。
覆面の集団はそんな力を持つ者が敵にいるということで勢いを失い、
護衛の兵士はそんな力を持つ者が味方にいるということで勢いを得る。
今までの被害を考えてもこの状態ならば、どちらが優位かは考えるまでも無い。後はあの銀髪の少女さえ抑えられれば勝てるだろう。それも往人がいれば難しくない。
栞が往人にその旨を伝えようとしたが、ことはそう思うとおりにはいかなかった。
なぜなら、覆面の集団が一気に撤退を始めたのだから。
「「「…………」」」
あまりにも鮮やかかつ唐突な逃げっぷりに誰もが動けなかった。何か合図でもあったのか、ほとんど同時に全員がこちらに背を向け、動けない者は動ける者が担ぎ、まるで蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
しかも襲ってきたときのように全員がバラバラの方向に逃げたので誰を追えばいいかわからない。何よりこちらも怪我人が出てしまっているので、追える状態ではなかった。
栞はざっと辺りを見渡して自分を除いた計二十一名の姿を確認し、特に急いで手当てを必要とする者がいないことにほっとするする。負傷者のほとんどは刃物によって切られて傷であるが、致命傷には程遠いものばかりだった。
理由はわからないが、恐らくはあの銀髪の少女が手加減したのだろう。
そこまで考えて栞はあの時、脇腹に当たった刃の感触を思い出す。普段から着ている、この特別製の白衣がなければ自分もまた血を流して倒れていただろう。
「まぁ、無事荷を守り通せたんだから一応は良しとすべきでしょうか………」
そうは言ったが栞には、何か違和感があった。
一応優勢であったはずの覆面集団がいきなり退いたこと。これも妙とは思うが気に留めるほどのことではない。自分がこれならいけるかも
、と思ったのと同様に、むこうもこれはまずい、と判断したとしても不思議ではない。
だから、この妙にひっかかる違和感は別の物だ。今と前とで何かが違っている。それは分かっているけれど、それが何なのかまではわからない。
丁度、良く似た絵を見比べて間違い探しをするような心持ちで栞は首を捻る。
自分も含めて二十二名、特に重傷者も無い。荷馬車も特に何かされた様子も無い。場所だって戦闘で少し風景が変わってしまった程度で、
特に移動はしていない。他には――――
「……ってちょっと待ってくださいよ!?」
思い出す。たしか戦闘が始まったとき、こちらの人数は二十四だったはずだ。残りの二人は何処へ行った?
栞は大急ぎで視界を巡らし、馬車の陰になっているところなどを見たりしていなくなった二人を探す。
「どうかしたのかい?」
そんな意図の読めない栞の行動に兵士の一人が尋ねてくるが、栞はその質問には答えず、ちょっとすいませんと断りを入れると、栞は
御者台に上がり、鉄の箱のようになっている荷台を見る。
流石に貴重品を運ぶだけあってしっかりした作りだ。また、荷を出し入れするための扉部分には頑丈な封印の結界が張られている。
見たところ、これが破られた形跡は無い。
しかし栞はポケットから一本の試験管を取り出すと、おもむろにその中の液体を扉へとかけた。
「おいおい、一体何をしてるんだ!?」
「大変ですよ!! 多分中の物、何か取られてます!!」
そんないきなりの行動を見咎めた隊長が声を上げるが、栞の言葉はそんな驚きも一気に塗りつぶした。
「なっ、一体何を根拠に……」
「これを見てください」
びっ、と栞が指差してみせたのはさきほど栞が扉にかけた液体。透明だったはずのそれは今、濃い青色をその身に宿していた。
「この薬品は簡単に言えば術の性質、かけられてからの経過時間に反応してその色と濃さを変えるものです。
そしてこの色の濃さから推測すると、扉を護る結界はかけられてから三十分も経っていません」
その内容に隊長の顔が変色した薬よりも青くなるが、栞はさらにそこに追い討ちの事実を伝える。
「それに私たちの人数が二人、減っています」
「なっ、そんなバカな!!」
隊長は叫ぶとすぐさま背後でこの場にいる者達の数を数え始める。
「た、確かに私と君達を除くと二人足りない………」
「多分その人たちが結界を一旦解いて、はりなおしたんですね。すり替わっていたのか裏切ったのか分かりませんが……」
全方位からの襲撃で護衛対象への注意が散漫になった隙を見計らって、結界の解呪は行われたのだろう。
そして方々に逃げるあの覆面集団に紛れて彼らも逃げ出したのだ。おそらくは積まれていた荷を持って……。
「なら急いで取り返しに行ったほうがいいんじゃないか」
「そうなんですけど、一体どっちに行けばいいのか………」
往人の言葉に栞は先ほどまでの勢いはどこへやら、一気に声を小さくしてしまう。まぁそれもしかたない。言った往人だってどっちへ
行けばいいかなどわからないのだ。
(だが…何だ、この感覚は?)
何となく、自分の血が…いやそこに宿る何かが行けと言っている気がする。ただ、その声はとても小さくて、強制するようなものではなく、
小さな声で囁かれているような感じ。だから無視をするのにはそんなに難しくは無い。
だがそれでも無視できない。別の何かが無視させない。小さいのだけれど、数えきれないくらい集まって出来た何かがその声に従えと、
もうひとつの声を発しているような気がする。
往人は無意識にいつも持ち歩いている人形を入れているポケットに手をやる。
そうして往人は少し迷った後、よくわからないその声に従うことに決めた。
今は護衛の仕事中だが、まぁこの状況なら自分ひとりでとりあえず追ってみるといえば問題ないだろう。何か言われそうなら有無を
言わせず走り出せば良い。
そんな自分勝手な考えを帰結させると、往人は早速それを実行せんと口を開くが、
「なぁ、この際俺が一人で―――」
「向こうじゃないかな」
あゆの言葉が往人のセリフの途中に割り込んできた。その言葉に往人は思わず目を丸くする。
なぜならあゆが指し示した方向が、往人が向かおうとしていた方向と一致していたからだ。
「おい、何でそっちだと思うんだ」
「え……えっと、勘…かな?」
この少女は勘と言ったが…偶然だろうか? だが嘘をついているようにも見えない。もしかして自分が感じているものと同じものを感じたのだろうか?
往人がそんな疑念にとらわれている一方で、栞はひとりで悩んでいた。
この状況、勘であろうともともかく動いてみるべきかもしれない、とも思う。例え本命に当たらなくても、一人でも捕まえれば情報が
引き出せるかもしれないからだ。
とは言え一人の勘だけで動くのも問題ある気がする。発言者のあゆもなんだか自信なさげだし………。
だがその時、栞の考えを後押しする声が場に響いた。
「ちょっとまてよ。確かあの異様に強い銀髪の女の子もそっちの方に逃げて行ったぞ」
周りで話を聞いていた兵士の一人が思い出したように叫ぶ。
その情報で栞も心を決める。あの強さから察するにあの少女は間違いなくあの集団の主要メンバーだろう。
それに以前、純一や住井から聞いた《十二連翼》と思われる、往華という人物といくつかの特徴が合致する。
なら、元々の目的を考えればここは追うべきだろう。
よし、と力強く頷くと栞は示された方向へと足を踏み出す。
「それでは往人さんも、構いませんね」
「…………あ、あぁ」
往人は唖然としながも何とか答えた。自分は一人で気になる方へと行こうとしていたのに、なんだかとんとん拍子で話が進んでしまい、おいてけぼりを
食っていたのだ。だが話を振られたことで復活した往人はすぐに首を縦に振った。
過程がどうであろうと、向かう先が同じならば拒む理由はない。
前を行く栞とあゆを追うように、往人もまた駆け出した。
この先で自分の一族にとって重大なことが起きる、そんな予感を心の片隅に抱きながら―――
あとがき
いぇーい、一話でまとめようとしたけどやっぱりうまくいかなくて初の前後編となりました。
なんて言うか自分の作品ながらいらん贅肉多くないか? と思いつつ減らせないだめな作者でございます。
今回は往人の話……のはずなんだけど栞が目立ってるなぁ………。本当は往人を主軸として一話で終わらせるつもりだったのに。しかも
あゆ影薄いし。
まぁ次回で挽回できるよう頑張ります。
ではまた……
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